金融翻訳者の日記

自営業者として独立して10数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

同じ自叙伝を書くのなら・・・

(1)先月の「私の履歴書」の初日の書き出しと最後の段落

 

(以下引用)

小椋佳」という名で歌創りを始めて、既に半世紀を超す。私の場合、自分が歌いたいと思える言葉を日 記から紡いで歌創りを始めた。その姿勢は基本的に今も変わっていない。依頼内容に応じて器用に歌を作る 職人だという自負心はついぞ持ち合わせていないし、商品を産むプロフェッショナルだという意識は、むしろ持たないように心掛けてきた。ただ好き勝手に想いを歌にしてきた。

 

(中略)

 

14 年 9 月には、古希を期して、いよいよ「けり」を付けようと思い、「生前葬コンサート」と題した葬式を4 日間もやらせていただいた。それでもなお生き延びており、現在もステージやら詩曲創りやらのご要請をいただいている。「余生」という名の新しい人生を生き直せということかと覚悟している昨今である。

 この「私の履歴書」、記憶装置の老化劣化にめげそうでもあるが、遠のいた日々を手繰り寄せよう。風車、逆さに回して」(引用ここまで)

(出所:日本経済新聞私の履歴書」2016年1月1日)

 

(2)今月の「私の履歴書」の初日の書き出しと最後の段落

 

(以下引用)

サッカー選手を辞めた時、私がユース代表から23年間で積み上げた得点数は548(694試合)だと知った。記録として確認できる最初のゴールは1962年4月20日の第4回アジアユース(タイ)でビルマから奪ったもの。最後は日本リーグ選抜と戦った84年8月25日の引退試合(東京・国立競技場)。サッカーの王様ペレ(ブラジル)の1281得点には及ばないが、まあ胸を張っても許される数字だろう。

 

(中略)

 

本田圭佑ACミラン)ら欧州で活動する選手たちが「日本に足りないのは個の力だ」という。であるならば、半世紀も前に個の力を磨くことにまい進した男の話にも何らかの意義はあるかと思い、数々のゴールの記憶とともに書いてみることにした」(引用ここまで)

(出所:日本経済新聞私の履歴書」2016年2月1日)

 

この落差。人間出ちゃうなあとため息。