金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

懐かしい電話

昨晩午後9時半頃に電話。この時間帯と早朝の電話は結構「ドキッ」と来るんで(わかる人はわかるでしょ)、恐る恐る出てみると・・・

実に丁寧な若い声で「Kさんのお宅でしょうか」「はい(?)(ちょっと警戒気味)」「私、Kさんの高校時代の友人で、Cというもので」「え、3年7組で駿台に通っていたC?」(突如調子が変わる)「お~お前か?」

高校時代は親しくなかったのに予備校に通い始めてから仲良くなった仲間が私を含めて5人いまして、5人とも一応通ってはいたんだが、午後からは喫茶店に行ってしゃべくったり、4浪の先輩の下宿に遊びに行って酒飲んだり、模試が終わると、「いいだ橋くらら」という昭和を代表する文化施設で芸術映画の鑑賞をしたり、神田神保町にある哲学書の老舗、芳賀書店に視聴覚教材を見学に行ったりしていました。

極めつけは共通一次試験の2週間前(12月30日~1月3日)に長野で行った勉強合宿。結局まともに勉強したのは2日目の午前中と最終日の朝だけで、後は昼間は遊び、夜は宴会にまみれてしまうという大失態を演じてしまったのである。

そういうめちゃくちゃな浪人生活を経て、5人のうち4人は合格。一人が2浪になった。

「そうか~俺の友だちはみんな医者だったんだ。これは得だわ」「お前何言ってるの?」「実は今もギックリ腰で・・・」「お前も年食ったな」「お互い様だろ」

実は私は行く気もないのに医学部進学コースに通っていたもんで、私以外の悪仲間4人は全員医者。医学部は昔から金がかかる。でもチバも、キモトも、シングウもトイさんも別に経済的に恵まれた家庭ではなかったので、4人とも受験校は1校だった。一人M君だけ落ちて2浪に。

大学に入ってからも毎年12月31日の正午に駿台東校舎の喫煙所に集まって丸1日過ごした。1年目は、2浪だったMも誘っていつもの喫茶店で夕方まで過ごし、夜から居酒屋に行って散々飲んで、夜中に代々木公園まで歩く勇気がなくて、今はなきコマ劇場近くの地下にあった、タバコの煙がもくもくする映画館に入って「新年からこんなもの見てたらろくな事おきそうにねーな」「俺を受からせてくれ~」と良いながら朝まで過ごし、7時頃に新宿駅で「ではよいお年を~」「また来年!」といって別れる。この年中行事を僕が大学を卒業するまで4回やった。Mも2浪後に見事に信州の大学に受かってお医者さんに。その結婚式で会ったのが最後だから、もう25年ぶりになるかな。

いや~懐かしいなあ、と20分ぐらい話した。9月に高校の同期会があるので、せっかくだから会えないか、という電話だったのだ。同期会の日は別の予定が入っている(しかも私が主催)ので、あきらめかけていたのだが、何とかならないか考えてみよう。

久しぶりに胸が熱くなる電話だった。