金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

柴田元幸先生トークイベント(ハックルベリー・フィンの冒けん)感想(2018年1月)

柴田元幸先生のトークショーでもう一つ感動したのは「率直さ」と「謙虚さ」かな。

ご自分の翻訳に対する姿勢と課題を素直に私たちに語りかけてくれたのには正直に心を打たれました(実は昨年に参加した土屋政雄先生もそうだった。やっぱり本当に偉い人は偉ぶらないんだね)。

とりわけ『ハックルベリーの冒けん』については、10~12歳ぐらいの少年が「書いたものをどう訳すか」あるいはどういった点が「訳せないか」についてのご苦労を語られ、村岡花子さんの翻訳も引き合いに出されながら、
(以下はあくまでも僕の解釈(=僕にはそう聞こえた)ですので、引用等はお控え下さるようお願いします)

「私のこの『ゆるい(少年らしさを前面に出した)翻訳』に、少年の素直さよりも翻訳者の苦労が垣間見えてしまう可能性」

を話された姿勢には「いさぎよさ」さえ感じました。これは一昨日の聞き手(聴衆)に対する信頼感も踏まえたご発言だったと思う。

私は最初先生の朗読にそのまま耳を傾けていたが、隣にお座りになったMさんが本を開いてお聴きになっているのを見て僕も真似して鞄から本を取り出し、文字を追いながら先生の朗読を拝聴した。柴田先生の声を聴きながら、この作品、そしてご自分の翻訳を愛されていることがよくわかるなあと思いました。

金子靖先生(研究社)も、編集担当者としてアンケート配ったり、アナウンスしたり柴田元幸先生のアシスタント(小間使いとも言う?:ゴメンナサイ)をしっかり務めておられました。あの翻訳教室、青山ブックセンターを救うためにという柴田先生の思いに共感されて、無報酬でおやりになってるんだから(ついでにOBOG会にもタダで教材、講義録をくばっていただいているんだから)、本当に、マジ頭が下がる。

金子先生、昨日翻訳教室のみんなに次のようなメッセージを送ってくれました。
(以下引用)
英語、翻訳、文学、そして書店。
わたしはみなさんとこの4つによってつながっているわけですが、特に昨夜は翻訳教室を始めたきっかけとなり、今も大きな目的として援助活動をつづける最後の「リアル書店」のキーワードのもとでいちばん強く結びついていると改めて思いました。

改めまして、みなさんにはリアル書店を大事にしていただけますよう、お願いいたします。リアル書店がなくなれば、こうしたすばらしい会を開催できなくなりますし、われわれの翻訳教室も、みなさんの1_2期+α、8_10期、10_12期、12_14期…の勉強会もなくなります。

どうか今後ともよろしくお願いします。(引用終わり)

僕なんかも先日本が出て以来、アマゾンの順位を見ちゃうんだけど、こういう金子先生や、そしていつも全国を飛び回って「本」と文学の布教活動を地道に続けておられる柴田先生の腰の低い、しかし高潔な姿勢や立ち居振る舞いを拝見すると、リアルな本屋さんを応援しなきゃと思います。

実に素晴らしい夕べだった。感謝。

原文を聞いて訳文をチェックする(2018年1月)

先日ある翻訳者の方とメールでやりとりしていて、僕が音声を使って翻訳チェックをしているのを勘違いされて「私も鈴木さんにならって日本語を聞いてチェックしている」と書かれていたので誤解に気がついた。

僕は、英語(つまり原文)の音声を聞いて日本語のチェックをしています。

日本語を読みながら英語の理解とズレていると感じる、あるいは英語がスッと頭に入ってこないことがある。僕の場合、理由は二つです。

(1)訳文がどこか原文とズレている。
(2)英文と日本語の構造の違いから、訳すときにわざと大きく日本語の組み立てを変えている。

(1)の原因は、「目では見落としていた」訳抜けや、特に助動詞と副詞を中心とするニュアンスのズレです。それと、文章で強調したい点が音で聞くと(目で追うよりも)はっきりわかります。例えば、理由を強調したいのか、結果を強調したいのか、といった点です。

(2)の時は音声を止めて入念に英語と日本語を読み直し、「これは音で終えなくても大丈夫」ということを確認します。

お勧めします。

日本語音声のチェック?

以前はやっていたのですがソフトが動かなくなったのでサボり(恥)、自分で音読して補っています。

「あら、ばれちゃった?」(2018年1月)

以下は実にくだらないお話しなので、忙しい方は読んではいけない。
このオレ様が必死に仕事をしていると部屋の後ろのドアが開いた。

「お父さん、大変なことに気がついちゃったの・・・」

いかにも不機嫌そうな声で振り返らずに答える私である。

「な、なんだ・・・」
「お豆腐を買ってくるのを忘れちゃったのよ」
「あ~そうですか」
「時間・・・ないよね?」
「そ、それは、この僕に『買ってこい』っていう意味だね?」
「あら、ばれちゃった?」

こういう時はわざとボケる相方である。

「・・・わ、わかったよ・・・で、風呂は誰かがやってくれるんだろうな?」

風呂笑い、いや風呂洗いは、トイレ掃除、ゴミ出し、卵焼き焼き係、そして最近加わった夕食後の皿洗いと並ぶ私の「5大家事」の一つなのだ。

「も、もちろんよ。Hにやらせるわ」「よし」
「それとね・・・」
(え、まだある?)
「お買い物行ってくれたら、さっきリサイクルで売れたヘッドホン代金の1500円をお父さんにあげる」
「ヨッシャー、では行ってきます!!」「ありがとー」

1500円で簡単に転んだオレ様であった。

では行ってきます。

書店に置いてもらった本、置かれるようになった本(2018年1月)

以下は、つい2時間ほど前の、今晩の夕食時の会話である。

「ほい、これが見本。おじいちゃんの仏壇にお供えしよう」
「わ~、スゴいわねーお父さん、表紙がきれいじゃない!」「だろ?」
「しかもとても厚いのね・・・」
「ま、まあな。なんたってお前、2年半だぞ、2年半」
「頑張ったね、お父さん。で・・・『ティール組織』どういう本なの?」
「組織論だよ。あのさ、『世界でいちばん大切にしたい会社』ってあったろ、あの発展版でさ・・・(ああでもない、こうでもない)・・・」
「何か、難しそうねえ・・・ねえねえ、それって文教堂西葛西店に置いてありそうな本?」
「う、それはいい質問かも・・・」
「やっぱり丸善オアゾ店クラス?」
「う~ん、そうだなあ。ビジネスマン向けだからなあ」
「でもお父さんの『世界でいちばん・・・』も『Q思考』も、その前の本も(覚えてない)文教堂に置いてあったじゃん」
「あれは『置いてあった』んじゃなくて、俺が西葛西店に出向いて、店長さんに『地元ですから~ひとつよろしくお願いします・・・』って頼んで『置いてもらってた』の!」
「あらそうだったの?アタシご近所に自慢しちゃったわよ・・・」
「ま、いいけどね・・・」

・・・てな感じで、この程度のかなり「浅~い」話をして盛り上がっていたら(毎回そうなんだけどね)、本を黙ってジーッと眺めていた次男が口を開く。

「何しろ難しそうな本だね・・・英語も難しかったんだろうね」
「お、ま、まあな、苦労したけどなあ」
「さすがだねえ・・・」

と、ここまではまあよかったんだがね。
突然吹き出しやがったのよ。

「え、何かオカシイか?」

と聞いたら、大学の数学科で、空気を読むということとトンと無縁な環境で暮らしている奴ぁニヤニヤしながらこう言い放ったね。

「でもお父さん、この前のTOEIC、900点割ったんだよね」

う・・・・・・・・ちくしょー。癒えない傷の上に塩を塗りたくるような真似しやがって~!と思ったが反論できなかった。

ふて寝してやら~。

でもいい日でした。感謝して寝よう。

おやすみなさい。
(後記)『ティール組織』出版直前の、見本本が届いた頃の我が家の会話です。僕はこの本を素晴らしい内容のものだと確信してはいましたが、一般の読者に受けるとは思っていませんでした。そこで以前の書籍とは異なり、地元の本屋さんに「売り込み」に行くことはやめた(あきらめた)のです。結局この僕の読みは大外れとなり同書は大ヒット。いつのまにか地元の書店にも平積みになっていました。懐かしい会話です(2022年1月16日記)

2017年12月10日に受けたTOEICの結果(2018年1月)

12月10日に受けたTOEICの結果がわかった(オンライン)。
Listening 460
Reading  430
合計  890
ちちちちちちちちくしょーーーーー!!!!
アマ陥落ぅーーーーー!!!
それでもプロかテメ~!!!
リーディング前日の作戦変更が裏目に出た。
Part 5&6の15分、Part 7後半30分までは作戦通りだったが、Part7前半を後ろからやってしまったのだ。どうも後で満点ホルダーのコメントを読むと、このPart6の後半がやや難しかったらしい。ここに引っかかって焦りまくり、Part6の前半の最後6個ぐらい塗り絵になってしまったのだ。
しかしこれが現実だ。
ここに恥をさらして、3月にまた頑張ります。

(後記)結局私はこの年の後半にもう一度受けてまたもや890点。その頃にTOEICの試験内容に対する疑問が出始めたこともあって、翻訳ストレッチでTOEICの勉強を極端に落とすことにしました。

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