金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

膨らんだ「取らぬ狸の……」

夕方に6月に出る本の出版社の編集担当者からメール。「今回は、有力書店からの事前注文が非常に多く、事前の初版の部数が増えました」おお~!すぐに電話。「鈴木さん、最近会う人会う人から『あれいいじゃん』って声かけられるんですよ。いいかも」私も初版の部数が出版前に増えたというのは初めての経験。夕飯食いながら「何かさ、ドラマの『重版出来!』みたいだぜ。こりゃ~大ヒットの予感するぞ」と言ったら「お父さん、前の時も、その前の時も同じこと言ってたよ。あんまり期待しすぎない方がいいよ-」とあっさり言われた。

(後記)『Q思考――シンプルな問いで本質をつかむ思考法』出版直前のエピソードです。本書すぐに増版になって期待がどんどん膨らんだのですが、今のところ2刷までで・・・。こういう時代だからこそこういう本に売れて欲しいんですが(2021年5月28日記)

締め切り日の誤解をめぐるこっけいな(?)やり取り(エッセイの分納)(2016年5月)

昨日は本来月曜日納品のエッセイ1本(約2500ワード)を夕方まで3分の2ぐらいざっと訳し、先方に電話。

「え~明日の分納ですが、3分の2ぐらいなら何とか・・・」
「え、鈴木さん、今日ですけど?」

「まさか・・・」と思って先方のメールを見ると「土曜日に・・・」と書いてある。エッセイの翻訳を分納なんて前代未聞で、その事情もわかってくれた上で受けた話は2日ほど前に書いた。

「え~、まさか。あ、ホントだ、あたし土曜日って書いている」「だって、電話しているときもその乗りでずっとしゃべってたじゃないですか~」「あ~またやっちゃった。あたしよくやるんです。金曜日のつもりで『土曜日』って書いちゃうんです~」

なーんて言われたって、土曜日でさえ無理があるのに、金曜日なんて完全な無理筋。それを申し上げた上で、

「今日出せってのは無理ですよ」「でも~」「まだざっと訳している段階で、訳抜けもあるかもしれないし疑問点もガンガン残ってますよ」「それでいいですから~」「今の段階で出せってのはですね、舞台上で着替えて、道具をバタバタやっているうちに幕があがっちゃうようなもので・・・」

「そんな感じですよね。もういいじゃないですか、鈴木さんとあたしの関係なんだから、ぜひ・・・」

て言われたってさ~。まだ知り合って3カ月なんだけど。と思いながら抵抗を試みる。

「・・・いや、むしろ朝起き抜けでお化粧もしていないのに宅配便が来ちゃったような・・・」「わかるわかる」彼女も元フリーランスの翻訳者。「まだパジャマ姿なのにつきあいの浅い彼がデートの迎えに来ちゃったみたいな」「ボタンが上から3つぐらい外れてるのに玄関開ける直前に気づいちゃったみたいな~」というくだらないやりとりがあった後、「それでも日本語で見ておきたい」という彼女の熱意に負けてパジャマ姿上からボタン1つはずれたまま(というより、「ズボンはいたけど社会の窓閉め忘れたみたいな」の方がよかったかな)の原稿を彼女限りで送った。

もちろん月曜日朝に最終的に仕上げたものをお送りする約束で。

新しいノート(2016年5月)

5月24日(火)

おはようございます。

[昨日の自分]

起床:4時15分
体重:76.4kg、体脂肪率24%、体脂肪量18.3kg
前日比:-0.6kg、+2%、+1.4kg
ピーク:体重は79.0kg(3/6/16)脂肪量は19.9kg(12/7/14)
間食: ショートケーキ半分
運動: ウォーキング4.5キロ。9068歩
翻訳ストレッチ:『国家は破綻する』『ここがヘンだよ日本語練習帳』『誤訳の構造』、『幸せの戦後史』の計55分。
翻訳時間:9時間55分
就寝:22時40分

昨日は夕方までソースクライアントK社のレポートを訳して夕方にウォーキングといういつものパターンでした。そのK社から午後にメール。「月曜日提出予定の日曜日午前中に納品していただくことは可能か?」今度の土日は管理組合の団地総会があるが何とかなるだろう。今回だけということを確認の上「喜んでお受けします」。

その2時間後、「日曜日ではなく土曜日夕方までに3回に分けて納品はお願いできないでしょうか?」。訳す英文は某社の巻頭エッセイ。何かあったな、と思いつつ「無理です。パワーポイントではあるまいし」という趣旨の丁寧なメールを送るとすぐに担当者のLさんから電話。「Lさん、お子さんの運動会?」まずはそう思ったので尋ねると爆笑された上で事情を説明してくれた。

要するに「土曜日はやむを得ないが、日曜日はなるべく出勤してくれるな」ということなのだ。「あたしは全然平気なんですが、管理部門がうるさいんですよ」。

この会社全社員が1年に1回1週間連続の休みが義務づけられていたり(その間にパソコンの中身を全部調べられるらしい:私的な交信はしていないはずなのでプライバシーはない、との判断か)、自分の家から自分のアドレスにメールを送信できなかったり、どんなに安い接待でも相手、相手との取引状況、取引金額と比べた場合の接待(される金額の適否)などを事前に報告しなければならないなど、セキュリティー(っていうのかな?)がかなり厳しい。

もっともLさんも元フリーランスの翻訳者なので、エッセイをバッチで納品することのナンセンスさをよくわかっている。わかった上で最後の仕上げの責任はLさんが負うという約束で土曜日のバッチ納品に同意した。

今日から営業日誌49冊目に突入。独立した2002年9月1日から全部取ってあります(2008年のJTFセミナーの時に5~6冊持って行き回覧しました)。毎回ノートが使い終わると使い終わった日を表紙に書き込むのですが、1年半ノートを使ってくると、表紙にはボールペンでは何も書けなくなります(ツルツルになる)。こういう時に鉛筆のありがたさがわかるなあ、と思いつつ古いノートに鉛筆で「2016年5月23日まで」と書き、新しいノートにはボールペンで「2016年5月24日から」と書いたところ。100枚のノート、見開きで3~4日分使うので、これから10カ月ほどこのノートのお世話になります。

ノートの表紙を開いた所には、これまでいいなと思った文章を手書きで写している。

たくさんメモってあるうちのひとつをご紹介。

「嫌われることがオリジナリティ
みんなにもてようとすると失敗する
ブレストしてもいいアイデアは出ない
ニーズを追うと、つまらなくなる
大切なことは他人に相談しない」

栗原幹雄

・・・というわけで、本日も皆さんにとって素晴らしい1日となりますように!!

(後記)5年前のFBをほぼそのままコピペしました(翻訳筋トレ→翻訳ストレッチに書き換えてあります)。今、ノートは58冊目。独立初日、つまり2002年9月1日からずっと続けています(2021年5月24日記)。

ソースクライアントからの仕事を断った話と和英翻訳における(PMとしての)私の役割について(2016年5月18日)

昨日も3件納品した後は少しゆっくり。夕方に実家まで散歩して今日から始まるR大学のWSJ講座の準備でもしようかなと思っていたところに電話(午後6時30分)。某ソースクライアント。「明日原稿できるので金曜日に納品してもらえないか?」和英案件2800文字だ。

すぐにネイティブ翻訳者二人に連絡するが、当然予想されたごとく「無理」。二人ともむちゃくちゃ忙しい翻訳者なので、かなり時間の余裕が必要なのだ。やむを得ない。利は薄くなるが仕事はしっかりしている(翻訳者は英語、米語のいずれかもネイティブを指定できる。チェッカーは社内の米国人)某翻訳会社に電話。「鈴木さん、和英は現在決算対応で月末まで手一杯です」。そうかー。

お客様に電話し、「大変申し訳ありませんが、この内容の、この量のものを中1日は無理です。といいますか月末まで無理です」と状況を話す。「スミマセン。僕が訳しているわけではないので・・・」先方も「・・・ああ、そうですか。やむを得ませんね」「申し訳ありません。また何かあれば」と電話を切った。

ソースクライアントからの仕事を断ったのは初めてかなあ、しかしない袖は振れないしやむを得んなあ、よく知らない翻訳者に頼むことはしたくない・・・と若干悔しい思いを残しながら、お客様にご期待に添えなかった旨のお詫びのメールを送り、お客様から来たメールと添付ファイルを削除していると・・・また電話。

「鈴木さん、実は正式には30日に客先に出すのでそれまでに間に合えば・・・何とかなりませんか?」「やってみましょう」。

で「今週はどうしても無理・・・・」と言っていたネイティブ担当者のDさんに電話。原稿も送って見てもらう。僕の苦しい立場をわかってくれたのだろう。電話がくる「できます。大丈夫です!」オッシャー!!!。再び先方に電話。「ネイティブ担当者都合つきました」「よかった~!!!」

ここから先はプロジェクト・マネジャー(PM)としての僕の仕事だ。

「で、実はお金の話をしていなかったのですが・・・・先ほどお断りした事情でもお話ししましたように、月末までギチギチに忙しい担当者のスケジュールを無理にこじ開けてもらいましたので、急ぎ案件ということで10%の割り増しを・・・」「は、はいわかりました」でDone。当然ネイティブ担当者の方にも10%強増額でお支払いします(基本的には折半なのだが、単価が切りの良い数字にならなかった場合にはネイティブ担当者の単価を切り上げることにしているので)。

最初のお客様の電話からここまで30分。これが翻訳会社の仕事なんだね。

「損して得取れ」とはちょっと違うけど、まあ誠実に対応していてうまい方向に転がった事例としてご紹介しておきます。

「きれいごと」だからこそ成功する

昨日、NHKのプロフェッショナルで知った鎌倉投信の新井さんの『投資はきれいごとで成功する-』が届く。

本を手に取り、書名を改めて見て「あっ!」と思った。『世界でいちばん大切にしたい会社』の書名「きれい事の経営-コンシャス・カンパニー』にしときゃ良かった。最終章に「(ホールフーズのような経営は)きれいごとすぎるのではないか?」という批判に対して「いや、きれいごとだからこそ成功するのだ」という趣旨の著者の見解が出ているのだ。あのタイトル僕の提案が通った-要するに『日本でいちばん大切にしたい会社』のもじり-だったのだが、あ~もっともっとよく考えればこの題はありえたはずだった!と思ったが後の祭り。

『投資はきれいごとで成功する-』『日本でいちばん大切にしたい会社』はNHK効果で今ベストセラーになっていまして、『世界でいちばん大切にしたい会社』はコバンザメのようにちょっと売れ始めたみたいではあります・・・。我ながらセコイ。

僕が和英翻訳をあきらめた理由②

Aさんのサークルに和英翻訳者の「募集広告」を出した。募集、と言っても今すぐ必要!ということではなく、将来機会があれば僕と一緒に和英(日本語→英語)をしてもよいかな?と思ってくれそうな人を探していますという募集の打診みたいなお知らせ。「英語のネイティブスピーカー」をどうしようかとも思ったが、結局

(1) 小学校から高等学校卒業までの12年のうちの大半(10年以上)を、外国語以外の全科目について、英語で教育を施す学校に通われていた方。
(2) ご両親のうちのどちらかが上の(1)を満たしている方。

とした。私の「お友達」には釈迦に説法なんですが、外国語を話したり書いたりする時に効いてくるのは、「こんなこと暗記して将来訳に立つの?」なーんて思いながら小学校や中学校で暗記させられた社会(特に歴史)、理科、算数、国語の用語や知識、日常会話の中で覚えた「ちょっとした言い回し」だからだ。どこかで聞いたことがある、どこかで口ずさんだことがある。といった小さな経験の積み重ね。これがあるとないとでは
①文章(原文)に相対するときの姿勢(発想)と
②仕上げの時のタッチが違う。

つまり入り口と出口が違う。僕が和英翻訳をあきらめたのは自分にはこれがないからだ。①と②の「間」は努力と勉強と検索で何とかなるのだが、①と②は原体験なので、いくら検索で表現を調べても埋まらない溝だと思っている。

(後記)6年前はこう書きました。(1)かつ(2)という意味で書いたトは思いますが、今葉(2)は不必要だと思っています。例えばイギリスにおけるカズオ・イシグロさんは(1)しか満たしておりません。なぜ(2)を入れたのか?今は忘れてしまいました。現在僕には、お客様から和英翻訳を依頼されると頼りにできる翻訳者が二人(アメリカ人とイギリス人)いらっしゃいます。(2021年5月16日記)

そして、9年前にはこう書いていました(2021年10月25日記)。

tbest.hatenablog.com

ソースクライアントの比率が高まるということ

……帰宅するとソースクライアントX社のSさんからメール。「鈴木さん、今の仕事終わったら次これとこれをお願いします」。X社は前任のLさんがヘッドハンティングされて退職した会社。Sさんはその後任で挨拶がてら料金値上げを折衝に行って成功した先だ。なぜかSさん僕を気に入ってくれたのだろうか。前任のLさんの時はマンスリーレポートにアッドホックで月1~2件だったのが、今は常にX社の仕事を抱えていることになる。結果としてX社の比重が増え、翻訳会社の比重が減っている(断っているから)。リスク管理上は決して好ましくない。

Lさんが移った先のP社からは守秘義務契約書が来る。「いよいよ始まりますのでよろしく」とLさんからメール。これでさらにソースクライアントのが比率が高まることになる。

「先のことはともかく翻訳会社とのお付き合いあまり考えなくてもいいんじゃない?ソースクライアントがなくなったらその時考えようよ」一理あるかも。

(後記)現在は仕事の総量が減っていることもあり、付き合いのある飜訳会社は1,2社。しかも時々注文が来る程度。後はすべてソースクライアントです。「あとはすべて」と書いたが5社。定期的に仕事をくれる会社が3社。時々「お願いします!」が2社。あとは出版社(書籍です。まあこちらは水物)。これらの会社は原則として断れないので積極的なマーケティングはできません。5年前に今の状況なら結構焦ってマーケティング活動(というか飜訳会社のトライアル受験)に勤しんでいるところですが、子どもたちが巣立ってしまった今はそれほどの逼迫感はない。飜訳会社のトライアルももう何年も受けていないです(2021年5月14日記)。